お久しぶりのブログです。
舞台「キャメロット」が終わり、予想通り抜け殻になってます。燃えつきた。
まだ記憶が鮮やかなうちにブログ書いておこうと思いながらもやっぱり上手く言葉にまとめられず、結局大千穐楽から二週間以上経ってしまいました。
特にこの「キャメロット」は自分の中でも噛み砕くのに時間がかかったというか、
正直初見の感想は「理解しきれてない!!」だったので
自分頭悪いんだなあとショックを受けたのを覚えています。
その後、近くの席のお客さんから「急に終わったね」とか「どういうこと?」みたいな感想がちらほら聞こえてきて
わかってないの自分だけじゃなかった!!ってちょっと安心しましたw
多分ですけど、終盤シーンの展開が早かったんですよね。
グィネヴィアの処刑台シーン→アーサーとランスロット&グィネヴィアが再会
の流れも舞台では一瞬で移り変わってますけど、実際はこの間かなりの時間が流れているはずで。
そこを初見ではすぐに理解できてなかったなと。
アーサーとの悲しい別れのシーン→ウォリックのトム登場
も感動してぐずぐず泣いてたら突然のトム!?
な早さに感情がついていけてなかったというか。
とにかく「キャメロット」は観劇一回じゃ足りない舞台だったかも?
繰り返し観ることで理解が深まる舞台だったように思います。
観劇後は書き残しておきたいことがたくさんあって頭フル回転でした。
まとめるのが難しすぎた。
予習して行ってなかったのもあって感想やら疑問点やらごちゃごちゃだったけどなんとか言葉にしてみました。
●モルドレッドのビジュアル
衣裳真っ黒。メイクも目元真っ黒。口元も裂けてるみたいに黒い線で描き足してある。
ネイルも気になってたんですが、
日生劇場では序盤たしか剥げた感じのネイルでところどころまだらに黒
途中からは何本かの指だけ綺麗に黒
でこだわりを感じました。
これって魔女と人間のハーフだから、普通の指と黒い爪と混じってる、ってことなのかな?
●王の美徳と父の愛
今回の登場人物で一番好きなのがモルドレッドだったんですが、彼の暗い背景と頭の良さに魅力を感じました。
モルドレッドは魔女である母とアーサーの間に生まれた言わば隠し子で、誰からも純粋な愛を受けずに育ってきました。
物語ではモルドレッドの企みによってアーサーによる「円卓の騎士」「平和」「理想の世界」は崩れ去ることになりますが、
そもそもアーサーが自分の血を継ぐモルドレッドにも家族としての愛を注いでいれば違ったんじゃないかと思わされました。
モルドレッドは悪いヤツ!
でもそうなった経緯は?
周りに問題はなかったのか?と考えずにはいられませんでした。
実の父なのに子を愛さず、美徳がどうのと語られてもそりゃああなるよなーと私にはモルドレッドを責める気にはなれませんでした。
●一人称の使い分け
モルドレッドの頭の良さについては、日本語でやる舞台ならではかも?な一人称の使い分けからも見てとれました。
登場人物の中で一人称を「僕」「私」「俺」と三つ使い分けるのはモルドレッドだけです。
彼がその場によって立ち回りを変えられる頭の回転の速い人物であること、常に何らかの企みを抱きながら行動していることがわかる地味に大事なポイントだと思います。
それがまた入野自由くんの自由自在な声に合っていて最高なんですよねー、モルドレッド。
ほぼ二幕だけという贅沢すぎる配役でしたが、モルドレッドが自由くんで本当に良かった。
アーサーにとっても一人称は重要なポイントで、
マーリンがいた頃は「僕」
王妃を迎えてからは「私」
王としての自覚、グィネヴィアと出会って素晴らしい王になりたいという気持ちが芽生えてからは「私」になるのがアーサーの心の成長を表しています。
●純粋さ⇔我慢すること?
アーサーは森で「あの頃の純粋さ」について話します。
ではいつアーサーが「純粋さ」を無くしたのか。
それはきっと王としての自覚が芽生えてからで
マーリンの言っていた「いつになったら我慢することを覚えるんですか」
この「我慢すること」と引き換えに手放さざるを得なかったのではないかと感じました。
反対にランスロットは最後まで「純粋さ」を持った人物です。
つまり「我慢すること」が出来なかったのではないかと。
今回の舞台の感想で「不倫ひどい!」「アーサー可哀想!」なども見受けられましたが、
たしかにランスロットちょっとグィネヴィアへの気持ちストレートにすぐ言いすぎちゃう?社会的な立場とか考えてないやろ?感はありました。
それだけ自分の気持ちや想いにまっすぐ純粋ってことなのかもしれませんが。
自分の愛を黙って隠し続けて諦めようなんて出来なかったんですねランスロットには。
「アーサーは(自分たちのこと)気付いているかな?」とグィネヴィアに問いかけるシーンの後に
「気付いているはずがない、いくら彼が我々を愛していても気付いたなら…」と続くのも
アーサーが不倫に怒り復讐したいという一人の男としての思いより、王としての「我慢」を選んだことがランスロットにとっては考えられないことだったのがわかります。
グィネヴィアに対して「もう二度とキャメロットを出ようと言わない」「グィネヴィアの部屋にも来ない」と誓う時、
彼は「純粋さ」を手放し「我慢」を選びかけたのに、それをグィネヴィアが止めてしまうのも切なかったです。
グィネヴィアはランスロットの「純粋さ」に惹かれていたからこそ、切ない。
●王妃としての自覚
アーサーはグィネヴィアに出会うことで王としての自覚が芽生えました。
ではグィネヴィアに王妃としての自覚が芽生えたのはいつか?
アーサーが円卓の騎士を思いつく前、グィネヴィアはこう言います。
「自分の騎士が甲冑を着て戦場に向かうのを見るのはもう最高にわくわくするわ!」
けれどランスロットにキャメロットを出て二人で愛を隠さずに生きていこうと提案された時のグィネヴィアは
二人で逃げたことに対してアーサーが宣戦布告すれば戦争が始まってしまう、そうなればアーサーかランスロットあるいは二人とも死んでしまう、それだけではなく大勢の死者が出てしまう
と言って戦を拒絶しています。
甲冑を着て戦いに行くアーサーとランスロットの姿を見るグィネヴィアの表情は
「わくわくするわ!」と言っていた彼女からは想像できないほどに悲しい顔でした。
ただ、平和を願い円卓の騎士を考えたアーサーにすぐ共感してそこで王妃の自覚が芽生えたのではないと思います。
ランスロットに突っかかり、ランスロットが負けることを楽しみにしている段階ではまだ王妃としての自覚はないように見えました。
つまり自覚が芽生えたのはその後、ランスロットを愛してからではないでしょうか。
●アーサーとグィネヴィアの伏線
グィネヴィアがまだ自由奔放に一人の乙女としてうふふあははしてる時の歌、結末を知ってから聴くとなかなかえぐいですよね。
セリフの「やっと恋愛にふさわしい年齢になったのに、人生を愛と結婚に縛られてしまうなんて酷いわ!」も
「争いの果てに家族さえ裏切る」も
グィネヴィアにとって恋愛の相手はランスロットであり、アーサーも愛する人ではあるけれど恋人というよりは家族なのかなと感じます。
実際の坂本くんとふうかちゃんの年齢差もあってか、アーサーとグィネヴィアってお兄ちゃんと妹や、親子みたいに見える時があるんですよね。
グィネヴィアがアーサーに甘えているのが可愛らしくて。
不倫するなんてグィネヴィア酷い!って感想があるのもわかりますが、彼女のアーサーへの愛や尊敬は絶対に嘘ではないと思います。
そしてアーサーと出会った時にグィネヴィアが
「ボンクラ、私と一緒に逃げない?」と笑いかけた後に
「今すぐ行きたい!でも、出来ません」
「僕が最も信頼できる勇敢な人物を見つけてあなたと一緒に行かせましょう」
これも後にグィネヴィアとランスロットがキャメロットから逃げ去っていくことを表していて観劇二回目以降は胸にグサグサ。つら。
●アーサーとグィネヴィアの別れ
アーサーに別れを告げる際、グィネヴィアは
「私はずっとあなたが何かを許すのを見てきた。その目が優しく深く揺れるのを見てきたのに、私はもう見ることはできないのね」
と涙ぐみます。
そんな彼女に対しても、アーサーは両手を広げて愛する人を許そうとします。
涙ながらにアーサーに抱きつき、彼の目を見て「見たかったものが見えるわ」と微笑み去っていくグィネヴィア。
これだけでも涙腺やばいんですが、ここで流れてる曲よ。オーケストラの演奏よ。
グィネヴィアがランスロットのことを想い歌う曲のメロディーなんですけど、なんでアーサーとの別れのシーンに?って
しっかり歌詞を思い出して号泣。
燃えるあなたの目を想うたび
胸が焼けるように苦しくて
自分を責めずにまたあなたを
見つめることなどできないから
遠ざけて そのまなざし
愛しさ 忘れるまで
どうか どうか
ここのメロディーなんですよ流れてくるの。
ランスロットのことを想う曲が、アーサーとの別れにも当てはまってくる。
えぐ演出すぎ。
●現代に通じること
アーサーは平和な日々を願い円卓の騎士を考えますが、結果として物語の最後にはまた戦争が始まってしまいます。
「昔の野蛮な日々に戻ったんだ。我々が永遠に葬り去ろうとしたあの酷い日々に!」
アーサー王の時代から遥か未来の2023年、世の中から戦争は無くなっていません。
アーサーが今の世界を見たらどう感じるでしょうか。
ただ彼のように理想を追い求める人は確実にいます。少ないながらも。
坂本くんが「今の世界情勢と重なる部分もある」と東京千穐楽で話されていたのも印象的でした。
昔のこと、舞台の中のことと思わず、自分たちの今に置き換えて考えなければならないなと。
モルドレッドに警戒するペリノアに
「我々は法で裁くことを実践している」と話すアーサーですが
「じゃあ黙ってやられるのを待つのか」と返され
「残念だが私はそれに答えることはできないよ」という部分も法治国家の問題の一つでもあると思います。
ストーカーがいるのに捕まえてくれない!何かあってから対応しますって言われた!なんていうのをよく目にします。何かあってからでは遅いのにも関わらず。
正当防衛も先に手を出されてからでないと成立しない、など。
事前に防げればいいけれど、かなり難しい。
まだはっきりと罪を犯しているわけではない人物はどんなに要注意人物であっても裁くことはできません。
司法についてはグィネヴィアの
「でも陪審員って誰が勝っても構わないんじゃないかしら」
というセリフもはっとさせられます。
第三者は中立かもしれないけれどある意味で他人事。
グィネヴィアに下った判決、火炙りも考えてみれば当事者は誰も納得いっていないんですよね。
第三者である陪審員はグィネヴィアを火炙りにしろと言えてしまうけれど、当事者であるアーサーは彼女を殺すなんてできないと崩れ落ちました。
●まるで円卓みたいじゃないか!
アーサーはマーリンから教えられた丸い地球をこう表現しています。
円、丸というのがアーサーの目指した理想的な平和の象徴になっていて舞台上にも常に円がありました。
上から見るとわかりやすかったんですが、ステージが白っぽく丸く塗られていました。
最初照明で照らしてるのかな?と思ってたんですがよく見るとわざわざ塗ってあってこんなところにも円が!と驚きました。
円卓とかけてるっていうのはTシャツの照史デザインの話を聞いて、じゃああれもかーってなったんですけどね。気付くのが遅い。
●ウォリックのトムとは
最後に突然出てきてアーサーに何やら託されるトム。
初見では誰やねんパニックでしたが、トムの存在はこの舞台には欠かせないものです。
それがわかってから観るとアーサーが力強くトムに「語り継げ」と告げるシーンも泣けました。
プログラムにも書かれていたのですがこのトムは「アーサー王の死」の著者であるトマス・マロリーを意識した人物です。
アーサー王について後の世に残してくれたのが彼です。
アーサーは「我々の勝利はここにある!」と言ってトムを見つめます。
アーサーにとっての「勝利」とは「理想を求めた我々がやったことが後の世に残ること」
つまりこの「キャメロット」という舞台自体も彼にとっての「勝利」と言えます。
私たちが目にしたものはアーサー王の勝利でした。
まとめて書いたつもりがそれでもなかなかの量になってしまいました。
キャメロットの感動がまだ熱いうちに書けてよかった。一安心。
やっぱり舞台が好きだなーと改めて思わされた作品でした。
松竹座と日生劇場という場所もすごく良かった!
帰ってきたぞー帰ってきたぞーキーリヤーマーンーー
いつも可愛い桐子に変身していた桐山が今じゃフランス人の二枚目最強騎士になったとは!っていう感動。
本当に
ミュージカルって、楽しいね!!